大海を知った蛙

理系大学院を退学して春から社会人

大学院を休学した理由・アカデミア(基礎研究)の向き不向き

久方ぶりのブログです。
前回の記事を書いた直後、無事休学の申請を行うことができ、昨年6月から今年の3月まで休学期間を得ました。


実はありがたいことに、卒論発表会で最優秀賞を頂いたこともあり、教授からは博士課程も検討してほしいとかなり期待されていたので、休学する旨を話しに行った際は罪悪感と緊張で死にそうになりましたが、ちゃんと理解していただいた上「しっかり休んで」と声をかけていただきました。


今回の記事では、私が大学院を休学した理由についてと、アカデミア(基礎研究)の向き不向きについてまとめていきます。

休学直前の心情

休学直前は、大学院に行きたくない気持ちと行かなければならないという使命感の狭間で葛藤していました。
毎日休学のことばかり考えいたので、作業もろくに進まず精神的に疲弊していました。
前の記事からも伺えるように、休学届一つ用意するだけで何日も頭を悩ませるくらいには気が滅入っていました。
客観的に見ればすぐ学務行けば済むじゃんって話なんですけど、当時の私にとってはそんな些細なことさえ、実行するのに大きなパワーが必要だったのです。


今思えば、私は知らず知らずのうちに自分の理想像を生み出し、それに当てはまらない現実の自分に深く失望し、自分で自分を責めていたんだと思います。
当時の私にとっての理想の自分(将来のビジョン)は、『毎日大学院に行って研究しながら就活して企業の研究職から内定もらって修論も完璧なものにする』です。


ここからわかるように、私は完璧主義で世間一般的な人生のレールの上に乗ってないと落ち着かない人間でした。
それが足かせとなり、休学というイレギュラーな選択をすることに抵抗を感じていたのだと思います。

休学を決意した理由

それでも休学に思い切った理由は、そのまま同じ環境下で、同じ研究テーマで、ポジティブデータが出るまで繰り返し実験するという当時の現状と何ら変わりない、わかりきった道を歩きたくなかったからでしょう。
レールから外れることを恐れていた私が休学を決意するほど現状維持を拒んだのには、大きく分けて以下の二つの原因があります。


①アカデミアの基礎研究が自分に向いていなかったから

研究には大きく分けて基礎研究と応用研究の二つがあります。
基礎研究は、主に大学や国立研究機関で行われているアカデミックな研究です。
仮説や理論を形成し科学を発展させることを目的としており、商業的利益よりも知識欲や探求心が根源となっています。
一言でいえば「未知の解明」のための非営利な研究です。
その一方で、応用研究は主に企業の研究所で行われており、基礎研究の成果を技術や製品へ結びつける「実用化」を目的としています。


私が大学の研究室で行っていた研究は、ゴリッゴリの基礎研究でした。
基礎研究の良いところは、自分の知的好奇心の赴くままに自由に研究できるところです。
私も研究室に分属された当初は、自分で自由に実験計画を立て、自分の好きなように実験を行えることに魅力を感じていました。


しかし、次第に基礎研究の短所である「データを得るまでに時間がかかること」と「終わりがないこと」に頭を悩ませるようになりました。
これは研究テーマによるとは思いますが、基本一回の実験で完璧なデータが得られることはありません。
前述の通り基礎研究は「未知の解明」を目的とした研究、つまり前例のない研究です。
データの再現性を取る場合を除き、実験手法・使用器具・サンプル・温度条件など全ての条件が同じ実験は行いません。
そのため、常に失敗の繰り返しです。


新しい実験を行う際は、実験に必要な材料を作るための実験や様々な条件検討を行うのですが、それだけでも多大な時間と手間がかかります。
そういった日々の実験の積み重ねでようやく研究自体がちょびっとだけ前に進みます。ほんのちょびっとだけ。


つまり何が言いたいかというと、実験量の割に得られるデータの量が少ない、コスパが悪いってことです。
そのくせ卒論や修論、学会発表などに向けて論文にまとめられるだけのデータを短い期間で集めなければならないんです。
となると、当然毎日実験で詰めっ詰めになります。研究室に泊まりがけで実験する日も少なくありませんでした。
しかも一つのデータが得られたとしてもそれで終わりじゃない。データを分析し次の課題を考え、また新たな実験系を組み立てて条件検討して…の繰り返し。


ちなみに、私の研究テーマで扱う酵素は室温でも熱変性による失活が起こりやすい性質と経時的に不活性化が進む性質を持っていたので、4℃の恒温室で何時間も実験をしたり、一連の実験をノンストップでやらなければならなかったりなど、体力的にも相当負担が大きかったです。


中でも一番辛かった実験は、サンプルを自動回収してくれる機械が古い機種だったので一度に最大30個までしか回収できず、360個のサンプルを回収し終わるまで約8時間ほど機械に付きっ切りで回収作業をし、そのまま休む間もなく約360個のサンプルを手作業で分析・活性測定等を行う、といったものです。
丸2日ほど寝ずに実験して帰ってぶっ倒れました。
最初の1回目は失敗だったのでやり直して、2回目に得られたデータの再現性確認のためにもう一度行ったので、計3回このサイクルの実験を行いました。地獄ですよね。


幸いこの実験は上手くいきましたが、得られたのはネガティブデータなので、今後も条件を変えて同様の実験を行おう!という結論に至りました。無限地獄。


ここまでの話をまとめると、


『自分のあらゆる時間を犠牲にして沢山実験しても、研究自体はほんの少ししか進まない上に全く終わりが見えない』


ということです。
これが私にとって研究が苦痛になった最大の原因です。


「こんなに苦しい思いして毎日実験してるのに、全然研究進まないしもう疲れた。」

「てか、そもそも金払ってまで研究室行ってこんなに辛いのおかしくね?何のために行ってんだっけ?」


次第に研究室に行く意味も見出せなくなっていき、自分にはアカデミアの研究は向いていないんだと気づきました。
そもそも、知的好奇心に溢れた生粋の研究者としての素質がある人は、実験がなかなか進まないことに対して悲観的になるどころか、それをバネにして前向きに実験を重ねていくと思います。
苦しい、辛いという感情を抱いている時点で向いてないんでしょうね。


ちなみに卒論発表までは「大学卒業」というゴールラインが間近に迫っていたので、辛い研究生活にも何とか耐えられていましたが、卒論が終わった瞬間に燃え尽きてしまいました。
さらに二年引き伸ばして同じ環境で同じ研究を続けても得られるものは何もない。それどころかますます卑屈な人間になるだけだ。そう思い、一度研究から距離を置く選択をしました。


(ここからは余談になるので読み飛ばしてもらっても構いません。)


大学の講義で、私の通う大学出身で大きな成果を残した偉大な教授(御年80歳)のお話を聞く機会があったのですが、その教授は人生のほとんどを研究に費やしてきたにも関わらず、研究を楽しいと感じたことは全くないそうです。
寧ろ上手くいかないことばかりでずっと苦しかったと。
唯一嬉しかったことがあるとすれば、自分の講演を聞いた小さな女の子が「私も貴方のような研究者になりたい」といった旨の手紙をくれたことだとおっしゃっていました。


それを聞いて「これほど偉大な功績を残した研究者でも研究を楽しいと感じられないのか」と、ちょっと虚しくなりました。
じゃあ研究者の卵にも満たない自分がスタートラインに立った段階で既に苦しさを感じているなら、このままもう二年間修士課程で同じ研究を続けても、得られるものはないなと思いました。


②他にやりたいことがあったから

私は小さい頃から絵を描くことが好きで、趣味として長く続けています。
研究室に入るまでは休みの日など時間のある時に絵を描いて過ごしていましたが、研究生活が始まってからはほとんど時間を作ることができず、絵を描くことは諦めていました。


しかし、前述したように研究が苦痛になり、大学で研究を続けることに疑問を感じ始めた頃、研究以外の道に進むという選択肢を考えるようになりました。
その時に真っ先に思い浮かんだのは絵を仕事にする事でした。


趣味でやっていたことを仕事にするのは大変だとは思いますが、挑戦せずにはなから諦めたくなかったので、研究から離れて絵と真剣に向き合いたいと考えていました。
また、純粋に好きなことに没頭する時間が欲しいという気持ちもありました。


休学を決意した一番の理由には及ばないものの、研究生活でずっと我慢していた「絵を描く時間が欲しい」という気持ちが日に日に増していき、大きなきっかけになったのだと思います。

私の将来について

結論から申しますと企業の研究職に就くことになりました。


「あんなに研究が苦痛だったのに!?」と思われるかもしれませんが、私が苦痛に感じていたのはあくまでもアカデミアの基礎研究です。
就職してからは製品の商品開発などを行う企業の応用研究を行うので、一つひとつの実験に明確なゴールが設定されています。
給料も出ますしね。(←ここ超重要)


絵の道については、色々挑戦してはみたんですが、やはり趣味だったものを生業にするのは相当な努力がいることを痛感し、潔く断念しました。
一年にも満たない短い休学期間ですが、「この期間で挑戦して無理なら諦めよう」とタイムリミットが設定されている方が、逆に諦めがついてよかったのかなと思ってます。


この辺の休学期間の過ごし方と就活については、また次の記事でまとめられたらいいなと思います。

アカデミア(基礎研究)の向き不向き

最後に、私が研究生活を通じて感じたアカデミア(基礎研究)の向き不向きについて書いていきます。
これから研究室を選ぶ人、大学院進学を検討している人の参考になれば幸いです。


本題に入る前に、まず、そもそも大学院に進学するかどうかはしっかり考えた方がいいよ!ってお話をします。


私は周りの環境に流されて大学院進学を決めました。
私の研究室では院行くのは当たり前だよ?というような空気感が漂っていたし、周りの同期も院進を考えている人が多かったので、普通行くやろ。的なノリでした。
また、学部の講義で「大学院を出た人の方が生涯年収が高い」と教えられ、どの教授も口をそろえて院へ行けと言っていたのも大きな理由の一つだと思います。


で、その結果がこの有様です。


何故こうなったのかは今となっては一目瞭然で、「大学院に行く意義をしっかり見出さなかったから」です。
なので、もしこれから大学院進学を検討されている方は、大学院に進学することが本当に自分のためになるのかをしっかり考え、明確な軸を持つことをおすすめします。


でも進学してみないとわからないこともあると思うので、私のように進学してみて合わないと感じたら一旦休むというのも全然アリだと思います。
それか他大学の大学院を受験して環境をガラッと変えてみてもいいかもしれません。


では次に、私が思う『アカデミア(基礎研究)に向いている人 5選』を紹介します。


①とにかく研究が大好きな人
一生涯研究に捧げてもいい!って人。知的好奇心の塊のような人。
アカデミアは実験環境が整っていて最新の実験機器が揃ってる所もあるので研究大好きな人にはたまらんでしょう。


②あきらめねェど根性の持ち主
実験に失敗はつきもの。何度失敗してもそれを成功の糧にして前を向いて頑張れる人。
研究の世界で一番大切なのは持ってるデータの数なんかじゃねェ… 大切なのはあきらめねェど根性だ


③ポジティブ思考の人
②と似てるけど、失敗しても落ち込むんじゃなく「次行こ、次!」って切り替えられるポジティブさはとっても大事。
研究は基本個人戦。孤独で精神的な戦いになってくるから、友達と支え合うだけでは補えない部分が出てくる。
自分で自分を鼓舞したり前を向ける力のある人なら続けられると思います。


④器用で効率がいい人
同時並行で複数の事を行うのが得意な人。何でもパパっとこなせちゃう人。
研究においてスピードや効率はめちゃくちゃ大事。
早ければ早いほどデータも沢山取れるし、何より早く家に帰れるから研究以外の事と両立しやすいってのが良いですね。


⑤感情が薄い人
これはいつも黙々と実験してた後輩と話した時に聞いたんだけど、感情の起伏が全くなくて「無」らしい。
故に、実験に失敗しても何とも思わないし、研究が難航してても苦しいとか辛いとか感じることがないらしい。
感情に流されることなく常に理性的なので研究者にもってこいな性格だと思いました。


以上です。
長くなりましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

自分を許せない

今日はついに休学届をもらうために学務係に行ってきました。
が、休学届はもらえませんでした。

休学届出すまでの道のりが苦しい

前の記事でも書きましたが私は一刻も早く休学したいと思っています。研究意欲がなくなったからです。
二十代の貴重な時間を無駄にしたくないので、できることなら今すぐ休みたいです。


しかし、学部三年生の学生実験のTAをしなければならないため、来週までは否が応でも大学に行かねばなりません。
いくら自分のことで精一杯だとしても、流石にTAをすっぽかせるほど無責任な人間ではありませんし、そうなってしまえば自分のことを今後一切好きにはなれないでしょう。


そこで、TAの仕事が終わったら即休学するために今のうちから手続きをしておこうと思ったわけです。


………が、実は私が休学しようと思っていることについて、まだ誰にも相談したことはないですし、自分の中にも躊躇いがあります。
自分の主観だとどうしても視野が狭まっている可能性があるため、大学の心理カウンセリングを予約しましたが、四月中は予約が取れず五月の中旬になってしまいました。


じゃあ五月にカウンセリング受けるまでは頑張って大学行って、カウンセリングの結果休学を選択するなら、それから手続きしたらいいじゃん。


…と、最初はそんな悠長なことを思っていたのですが、そうもいかず。
国立大学の場合、休学届を提出する月によって授業料の免除額が変わってくるのです。
私の通う大学の場合、四月と五月で25,000円ほどの差があります。
仮に五月のカウンセリング後に提出したとしても、休学開始日は6月1日からになるため、それまで我慢して大学に行くか半月分の授業料を捨てて休むことになります。


そのことを踏まえると四月中に提出して五月頭から休むのがベストだと思い、カウンセリングのことは後から考えるとして、取り敢えず休学手続きを速やかに済ませるためにも、先に書類だけ受け取って必要事項を確認しておこうと思ったわけです。


しかし、勇気を振り絞って休学届を取りに行ったものの「学部長と面談しなければ休学届を渡すことはできない」と言われ、とっさに「まだ確定したわけじゃないのでいいです!」と逃げ帰ってしまいました。
(後から知りましたが、研究室分属後の生徒は指導教員との面談だけでOKだったそうです。)


まあ今一度冷静な頭で考えればそりゃそうかって話ですよね。
もちろん学部長のみならず研究室の指導教員の了承も得なければなりません。


でも「学部長や教授に休学の話するの怖すぎるし嫌すぎる」って気持ちが勝ってしまって、頭の中は半ばパニック状態でした。
たたでさえメンタルボロボロなので家に帰って布団にくるまって泣きました。


というわけで、休学届を出すにあたって乗り越えないといけない壁がめちゃくちゃ高く、絶望してます。

大学院(研究室)に行くのが苦しい

そもそも、大学は卒業できたのに何故大学院に入学した途端休学したくなったのか、簡単に経緯をお話しします。


卒論提出までの地獄のような日々から解放され、遊びほうけた三月。
それまで落ち込んでいたメンタルが息を吹き返したかのように回復していくのを感じました。
このまま順調に新学期を乗り越えていけたらいいな~なんて考えていました。
その反面、多分もう無理なんだろうなと思っている自分もいましたが、本心と向き合わず見て見ぬふりをして、負の感情を無理矢理抑え込んで、自分に嘘をつき続けました。


結果、早くもガタが来てしまったようです(^-^;


今までの自分をマラソンに例えてみましょう。


研究室に入った時をスタート地点とし、卒論発表・提出というゴール地点に到達するまで何回もこけて膝をすりむきながらも死に物狂いで走り続け、ゴールすると同時に力尽きて倒れた。
束の間の休息の後、「次はこのコースを走りなさい」と、先程のコースよりもさらに長く険しい道のりを見せられた。
走り始めてすぐは何とか耐えていたが、短時間の休息でまだ完全に回復しきっていない体では体力の消耗が激しく、すぐに疲れの色が見えてきた。
途中棄権を考え始める。

といった感じです。


そして恐らくこのマラソン選手が再びマラソンをする日はやってこないでしょう。
これから先いくら休息を取ろうと、すりむいた膝の傷がふさがろうと、ゴールするまでの苦しさ、辛さがトラウマとなり、もう一度挑戦しようとは思えなくなります。


それが今の私です。


トラウマ(卒論提出までの苦労)についてはまたいつか触れます。

でも大学に行かない自分を許せない

私は小中高大と学生生活を送る中で、病気以外の理由で一度も休んだことがありません
高校に関しては無遅刻無欠席で皆勤賞を頂いたほどです。
どんなに辛くて行きたくない日も、体調さえ整っていれば我慢して通っていました。


そんな当たり前のことを自慢げに語られても…と思われた方はすみません。
しかし、私にとってこの事実は多少なりとも自信につながっており、自身の長所の一つだと捉えています。


ただ、今は逆にこの長所が足かせとなり、「学校に行かない=甘え、怠惰=悪=自分の長所が一つなくなる」という最悪の公式が出来上がってしまったのです。


「病気じゃないけどめんどくさいから今日は休もう」とか「一回くらい休んでも単位に影響ないしサボって遊ぼう」とか絶対にできないです。
そんなことをしてしまったら罪悪感で頭がおかしくなってしまいますし、自分のことを今後一切好きにはなれないでしょう。(二回目)


しかし、そんな自分でも研究室分属後からは様子がおかしくなっていきました。


朝、起きても体が動かない。


頭では行かなきゃと思っても、どうしても体が動かないんです。布団に張り付いたみたいに。


このような現象が見られ始めたのは、四年生になり単位をすべて取り終えて完全に研究室のみで過ごすようになってからです。
一応コアタイムは決まっているのですが、そこまで厳格に管理されているわけではなく、ゼミさえ出席していれば特に注意されることもなかったため、気持ちがたるんでしまったのだと思います。
酷い日には昼間も布団から出られず、夕方のゼミ前から参加するような日もありました。


こんな怠惰な自分を自分だと思いたくない。これは甘えだ。ありえない。なんでこんな駄目な人間になってしまったんだろう。許せない。


頭の中が自責の念と自己嫌悪で覆いつくされた日も少なくありません。
そうやって自分を許せない日々が続いたせいで、何度も精神的に追い詰められ、もっともっと研究室に行くのが辛くなってしまうという悪循環が生まれてしまいました。


唯一マシだったのは、大幅な遅刻はあっても研究室に行かない日はなかったことです。
そこだけは自分の中で絶対超えてはならないラインだと思って、ギリギリ保つことができました。


まあそんな中でも同期や先輩に支えられながらどうにか卒業できたのですが、問題はここからでした。(大学院入学後)


研究室に行っても何も手がつかない。思考停止状態。


それまでは、研究室に行くまでが辛くても、行ってからはきちんと実験をしていました。
一度始めたら途中でやめられない実験が多かったこともありますが、実験量がかなり多く、そこそこ順調に進んでいた時期もあったので、自分の研究成果に自信を持てていたのが不幸中の幸いでした。


しかし、こうなってしまっては、もうどうしようもありません。
ただひたすらぼーーーーっとノートを眺めたり、机に突っ伏して寝たり、パソコンを開いて同じ画面をじっと見つめたり、本当に生産性のない時間がひたすら流れていきます。


周りの研究室メンバーは毎日忙しなく実験を行っているのに、自分は卒論提出後から何もしていない………


自信やプライドが砕け散る音が聞こえましたが、そんなものもう気にならないくらい、


全てがどうでもいい……早くやめさせてくれ……


毎日毎日そんなことを考えていると、残りカスみたいな研究意欲が完全になくなってしまいました。


ただ、大学院入学後は新たに講義が始まるため、それだけは欠かさず受けるようにしていました。
課題もそこそこあるので、それを口実に図書室で勉強したりして誤魔化していました。


しかし、今ではその講義に対しても「どうせ休学するなら受ける意味がないんじゃないか」という風に休学前提の思考になってしまい、学習意欲が見る見るうちに下がっていきました。


私の中の悪魔が、休学することを見越して「もう全てすっぽかして楽になっちゃえよ」と常に囁いてきます。
すると天使が「まだ休学が確定したわけじゃないし、ここですっぽかして休んだら本当に自分のことを許してあげられなくなるよ」と脅してきます。


天使に脅されるとは、皮肉なもんですね。視点を変えたら、天使の皮を被った悪魔だったりして。
実は悪魔の方が私の体を労わってくれてるのかな、と思うこともあります。


……いや、でもやっぱりそれは甘えな気がする。自分でもよくわかんないです。


まあとにかくそんな感じで、今日一日でかなり神経をすり減らしました。
誰かに相談したいけど、相談できる人がいなくて、もう本当にどうしたらいいかわからなくて苦しいのでここで吐き出させて頂きました。


取り敢えず明日は保健室の先生にカウンセリングの日を早められないか聞いてみようと思います。


こんなどうしようもなく半端なクソ野郎の独り言に付き合ってくれてありがとうございました。では。

第一歩

はじめまして

とある地方の国立大で今月からM1になった者です。


日々思考を巡らせる中で頭の中がごちゃごちゃになってしまうことがよくあるので、いっそ言語化してまとめてみよう!と思い立ち、ブログを始めるに至りました。
普段から日記をつける習慣があるわけでもなく、語彙力も人並みかそれ以下なので上手くまとめられる自信はありませんが、まあそんなことは気にせずありのままに書いていけたらと思います。
文章を書くこと自体はかなり好きなので、今もわくわくしながら執筆中です。


書きたいことは山のようにあるのですが、今日は二限から授業があるので手短に今の私の置かれている状況と心境についてお話しして締めようと思います。(現在時刻1:35)


私は大学三年の後期から研究室に所属し、そのまま大学院に内部進学しました。
一年半の研究室生活でかくかくしかじかあり、何とか卒論を提出して無事卒業できたわけですが、「四月から心機一転!大学院でもバリバリ研究するぞ!」という風にはいかず、寧ろ「もう研究したくない……」という調子で、研究モチベが急落してしまいました。
まだ入学して二週間ほどしか経っていないのにこの有様です。
もちろんこうなってしまったのにはちゃんと理由がありますが、それについては今後の記事で順を追ってまとめていこうと思います。


正直今の状態では到底やっていける気がしないので、休学を視野に入れ始めています。
もう休学したくてしたくてたまらないです。一刻も早く休みたい休学休学休学休学休学休学

▼最近の検索履歴いつもこんな感じ


まあそんな感じで鬱ってほどではないだろうけど、ずっと気分が落ち込んでいます。
この先どうなっちゃうんだろうな…


という訳で、今日はもう寝て二限に遅刻しないように頑張ります。では。

(あ、午後はB3の学生実験のTAしなきゃいけないんだった……皆の前で解剖のデモしないといけないんだった……だる…)